企業アーカイブズと社史編纂の実際(最終回)

蜂谷工業株式会社創業100周年記念誌の編纂から……006

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■記念誌をどう生かすか

記念式典を終え、記念誌の取材・撮影はすべて終了。
3月は、編集・制作作業のペースを一気に上げ、4月上旬には初校ゲラを提出。
以後、5月末の完成に向け、同社の編集担当者を中心に校正・チェック作業が急ピッチで進められた。
ギリギリまで、写真の差し替え、原稿修正、巻末資料編の追加・訂正作業など、気の抜けない作業が何日も続く。
ただ、社内に編集デザイン担当者の守安涼がいるので、急な対応も細かい指示も心強い。
5月半ば、県立記録資料館への写真掲載許可の申請書などを漏れていた手続きなどを行い、予定より少しだけ遅れて記念誌は校了した。印刷会社には、使用する紙や仕様・製本など事前に打ち合わせしていたので、印刷用データを入れてしまえば、スムーズに印刷・製本の作業へ。気心の知れた印刷会社との仕事にしていたので、比較的問題なく進んだ。

5月26日午後、予定通り蜂谷工業へ無事納品。
納めた記念誌を手に取った編集委員の一人から
「ありがとうございます。山川さんがいなかったら、できてないわ~」と言ってもらえた。

この100周年記念事業で、吉備人でかかわらせていただいたのは、創業100周年記念誌の企画・編集・制作、WEBサイトのリニューアルのディレクションとテキスト編集、記念動画の制作協力と監修。同社とはこれを機に、WEBサイトの取材・編集のサポート、リクルート用パンフレットの編集・制作、CSRリポートの企画・編集など広報支援、同社の企業アーカイブズにかかわる業務を引き続きお手伝いできたらと提案している。

創業から100年という歴史の積み重ねは、この10年、20年に誕生した企業にはない100年企業ならでは価値であり、地域社会からの信頼の証でもある。
ローカルゼネコンとしての誇りを胸に、地域になくてはならない存在として、蜂谷工業は、まじめな技術者集団であり続けてほしいと思う。

(2017年6月12日・記)
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企業アーカイブズと社史編纂の実際(5) 

蜂谷工業株式会社創業100周年記念誌の編纂から……005
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■社史には書けないOBたちのここだけの話

こうした資料、手がかりが少ないなかでの原稿作成作業では、OBの方々や関係者の方々のインタビュー、聞き取りが重要になってくる。
今回は、担当者の方から、時代や担当分野を重ならないよう配慮して、7人のOBの方に依頼していただいた。80代、90代の方もいらっしゃったが、みなさんとても元気で、記憶も確かで、取材では、たいへん興味深い話しを聞くことができた。OBの方々は、昭和40年代のいわゆる高度経済成長期の、建設・土木の分野がもっとも元気の良かった時代を過ごしてきたということもあり、それぞれの方たちの〈武勇伝〉をたっぷりと聞かせていただいた。
ただ、とても貴重ではあっても、社史の記述に書き記すことができる話ばかりではなかったことも確かで、こうした部分をどのような形で記録に残していくのかは、企業史料の記録・保管といった点で課題となるような気がする。

■WEBサイトのリニューアル、動画の制作も

2016年6月にスタートした記念誌の取材・原稿制作作業は、年明け1月にはほぼ終えた。
同時進行で取材をすすめていた動画制作の編集も大詰めを迎え、3月1日に行われる100周年記念式典でのお披露目に向け、2月下旬には、ナレーション取りが行われた。動画のナレーション取りに立ち会うのは初体験。プロのナレーションが入ると、それまで観ていた同じ画面がまったく違う作品にさえ見えるようになったのが、不思議だ。
動画は、15分のフルバージョン、3分のショートバージョン、30秒のミニバージョンと3種類を制作。目的や時間に応じて使い分けられるようにした。
蜂谷動画音入れ01

また、同社WEBサイトも100周年記念式典に合わせて全面リニューアル。
WEBサイトで使用する写真やテキストは、記念誌用に作成したものを流用するのだが、WEB用独自の取材や作業も少なからずあり、1月は記念誌用の編集作業を一時ストップして、WEB用の作業に時間を取られることになった。
WEBサイトのディレクションはトライマンデザインの三宅真人さんにお願いした。三宅さんは、記念誌では特集2にあたる「地元遺産」の工事実績を動的に見せる手法を取り入れてくれ、記念誌とは違った見応えのあるサイトに生まれ変わった。

蜂谷工業

3月1日、ルネス・ホール(岡山市北区内山下)で開催された蜂谷工業創業100周年記念式典では、記念動画、リニューアルしたWEBサイト、そして新しくなったマーク、ロゴタイプ、さらに制服、作業用ユニフォームもお披露目された。
まさに新生「蜂谷工業」の新たな一歩を踏み出した一日になった。
カメラマンと共に式典の記録写真の撮影に動き回っていたのだが、会場の所々で、打ち合わせや取材を通して顔見知りになった社員さんたちからも声をかけられたり、写真を撮らせてもらったりした。
「記念誌早く見たいです」「この写真、載せてくれますか?」
こうした声をかけてもらえるようになり、現場の社員たちも社史の完成を楽しみにしてくれている手ごたえを感じた。

企業アーカイブズと社史編纂の実際(4)

蜂谷工業株式会社創業100周年記念誌の編纂から……#004

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■ヘルメット、長靴姿で現場へ

このキーワードを記念誌の仮タイトルとして、ページ構成を考えていく。
通常の記念誌なら、会社の概要を描く口絵があり、社長のあいさつ、業界団体や行政のトップ、取引先の祝辞などが続く。
が、本書は少し異なるスタイルにしたいと提案した。
あくまでも本書の主役は、蜂谷工業の現場で汗を流す社員であり、そのチームワーク。
まじめで愚直な仕事ぶりを描き、本書を手にする人たちに伝えたい。
雑誌のように、巻頭には特集を持ってこよう。
特集1は、「私たちは100年後の〈遺産〉を造っている!」
現在進行形の現場をリポートするもので、今現在手がけているものが、これから100年後の未来には、〈遺産〉と呼ばれるものになっているかもしれない、そんな誇りと願い込めた取材記事だ。

岡山市北区野田の岡山マツダ本社・ショールーム建設工事を訪ねたのは、8月の猛暑のなか。
倉敷市鳥羽の倉敷高校の校舎改築工事の取材は、少しだけ秋の気配が漂ってきた9月下旬。
岡山市中区江崎の護岸工事の取材は、大潮(引き潮)の日を待っての10月13日午後。
徳島県北東部の松茂町の松茂町環境センターへは片道約3時間をかけて行った。
現場の最後は、岡山市南区古新田の岡山環状道路藤田地区改良工事。師走に入り、肌を刺す川風が冷たかった。
同行のカメラマン、ライターと一緒に、ヘルメットをかぶり、長靴を履き、現場によっては安全ベルトも身につけての取材だった。

特集2は、100年の同社の記録を地元の建築物、構造物から振り返ってみる「私たちがつくった〈地元遺産〉を歩く」。建築でいえば、岡山県総合福祉会館(北区石関町)、旧三光荘(中区古京町)、岡山西警察署(北区野殿東町)、土木では、鷲羽山有料道路、蒜山大山有料道路、八塔寺川ダム本体建設などなど。現在も目にすることのできる有名な建物、道路などがいくつもある。まさに、あれも蜂谷、これも蜂谷…という感じだ。
このリストは、同社の各担当部局にお願いしてリスト整理をやってもらった。
若い技術者からは、改めて100年の重みを感じることのできる作業になったのではと思う。

三光荘(平成元年)

■全員参加のページをつくろう

社史編纂では、資料を探して社内を駆け回る担当者はたいへんな思いをするけれど、一般の社員のみなさんにはあまり関心がないというケースをよく聞く。
そこで、同社の全員に参加してもらう企画を提案した。
自分たち自身が仕事に、そして会社にどのように向き合っているのかをデータ化した「HACHIYA白書」である。
白書では、「蜂谷工業を代表する建築実績」、「仕事の充実感、達成感を感じるのはどんな時か」、そして「蜂谷工業の魅力をひと言で表すと?」という質問を投げかけて、無記名でこたえてもらいグラフにした。
全14問の問いのなかで、「現在、担当している仕事に満足している」という問いに対し、「非常にそう思う」=26%、「ややそう思う」=56%という結果がある。なんと80%を超える人が、蜂谷工業での仕事に満足しているという。

このデータが示すように、同社はとても居心地が良く、やりがいのある職場だということが、数字の上でも明らかになった。
さて、社史編纂でもっとも時間とエネルギーを注がざるを得ないのが、社の歴史を書き残す作業だ。
「history 蜂谷工業100年の軌跡」は、創業から今日までを、資料とOB、関係者のインタビューを元に構成した。
同社の場合、これまで会社案内などは数年に一度のペースで更新、改訂されているが、社史、記念誌にあたる本、資料は制作していない。これまでに、例えば50周年記念誌とか70周年史でもあれば、創業時期、また戦後の状態などを知ることができるのかもしれないが、紙ベースの資料はほとんどといっていいくらい残っていない。
しかも、1945(昭和20)年の岡山空襲によって、市街地のほぼ中心部に位置する同社の資料類は全焼してしまっていた。したがって戦前、戦後の状態は、業界団体がまとめた記念誌や県政史などをもとに記述していった。

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企業アーカイブズと社史編纂の実際(3)

蜂谷工業株式会社創業100周年記念誌の編纂から……#003
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■キーワードが見つかった!

6月に入り、取材先現場、インタビューできるOBの方の人選、アポ取りが進んだ。
蜂谷泰祐社長へのインタビュー日程が決まり、当日の質問項目の作成、事前の資料読み込みなど、準備が慌ただしくなった。
7月8日、蜂谷泰祐社長のインタビューを行った。RSKプロビジョンの映像チームも同席し、映像用と記念誌用を同時に行ったわけである。インタビューでは、同社の創業者であり、県政の重鎮として活躍してきた泰祐社長の祖父・初四郎氏の幼いころの思い出から始まり、社長を引き継いでからの苦労、そして今日のゼネコンの抱える課題のなかでどのような舵取りをおこなって行くのかという展望まで、忌憚のないところを聞くことができた。
そして、そのなかで「われわれは誇りあるローカルゼネコンを目指します」という言葉を聞くことができた。
この言葉こそが、100周年記念事業を期に、社内外にアピールすべきキーワードでなないかと、確信した。災害があればすぐ飛んでいく、同じ地域に住む人たちの生活を守り、支える……それがローカルゼネコンの役目。エリア拡大や海外進出を目指す訳でもなく、地域に根を張った仕事をやり続けようという決意がそこにあった。
これまで「ゼネコン」という言葉は、「無駄な公共事業」とか「談合」といったマイナスイメージと対になって耳にすることが多かった。この仕事の依頼が来るまでそういったイメージがなかったといえば嘘になる。
しかし、リアルなローカルゼネコンの現場は、違っていた。
真夏の岡山マツダの本社ショールーム新築工事、倉敷高校校舎新築工事、旭川護岸工事、国道2号バイパス拡幅工事、早朝から夜遅くまでの現場、気象状況などで思い通りにいかない工程、近隣住民との調整……建築、土木、そして環境プラント、どの現場へ足を運んでも感じるのは、そのまじめな姿勢だった。この技術者たちのリアルな姿を伝えたい。
その姿こそが「誇りあるローカルゼネコン」蜂谷工業を表すものではないだろうかと。
梶浦さん

企業アーカイブズと社史編纂の実際(2)


蜂谷工業株式会社創業100周年記念誌の編纂から……#002

■建設・土木業界が抱える深刻な課題

この間、同社の担当者に何度か話をうかがい、建設・土木関係の関連書にもあたった。
建設・土木業界は、大きな悩みを抱えていたことがわかった。

〈建設業の実態〉
全国47万社、約500万人の人たちが働く巨大産業で、非常に幅広い業種が組み合わされて生産活動が行われる産業で、その複雑さもあってわかりにくい。
さらに3K(きつい、汚い、危険)や、談合事件などによるマイナスイメージが先行し、本来の産業としての実態や役割が伝えられていない。
一部メディアなどで発信、醸成されてきた負のイメージは、地域産業にとってある面残念で不幸なこと。
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〈地方に生きる建設業とは〉
地域の発展、活性化にとって建設業の存在、役割は大きい。
これまで、建設業は公共投資に依存する産業というイメージが強く、されに巨大ゼネコンから零細まで含め一体で論じられることが多く、地域を支えている産業の視点から建設業を体系的に分析されることは少なかった。
地方は、大都市地域に比べ経済的なハンディキャップがあるが、一方で少ない人口で広い空間を支えていく責任と役割がある。
メディアなどで伝えられるイメージと実際の建設業の姿のかい離が大きい。
厳しい環境下にある地域が時前の力で活性化していくためには、地域を支えている建設業の人たちが意識を前向きに、誇りを持って仕事に打ち込めるような社会環境をつくっていくことが大切。
建設業は地域と運命共同体である産業なのだ。

〈社会問題となる人材不足、後継者不足〉
バブル崩壊後の民間需要の激減に加え、公共事業も21世紀に入り構造改革政策などで縮減策が続き、建設業は抱えてきた過剰人員を手放さざるを得なくなった。そこへ、東日本大震災の復興需要やアベノミクスによる経済政策の追い風、さらには2020年の東京オリンピック誘致など、一転して人手不足と資材高という事態に変わった。
建設投資の急激な減少や受注競争の激化などが続いたことで就労環境が次第に悪化し、さらに就業者の高齢化や若手入職社の減少など構造的な問題になって、全国的に技能労働者等の建設人材が不足。新卒を採用してじっくり育成していく余裕がなくなってきた。
産業の存続に不可欠な技能の継承も困難になりかねない状況である。

こういった現状と問題を抱えていることがわかった。しかも、これらは、業界の課題であるだけでなく、蜂谷工業自身も同様の問題を抱えていたのである。

■総合的な広報戦略をプランニング
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建設業界のイメージを変えるために、
併せて蜂谷工業の実態と目指すところのイメージを広く地域社会に認知してもらうために、
さらにターゲット(世界・社会)を変えるために、
自分たちが変わる、蜂谷工業自身が変わる必要がある――。

蜂谷工業が目指す姿を、コーポレートメッセージとして示そう。
蜂谷工業の宣言、それは社会に対する約束でもある。ミーティングを重ね、100周年記念事業全体と通して必要なことは、少しずつ見えてきた。

5月下旬、記念誌の正式契約を結び、取材・編集作業に入っていった。
100周年記念ロゴやポスターのデザイン・作成は、クオデザインスタイルの田中雄一郎氏が手がけることに決まった。このことにより、WEBサイトのリニューアルは、吉備人とクオデザインスタイルとの共同で行うことになり、作業も無駄なく進行できる体制が取ることができた。
また、記念動画の制作も、当社からRSKサービス及びRSKプロビジョンを紹介させてもらい、記念誌の取材・編集と関連づけて同時進行により行うことで、それぞれが共通の企画意図に基づいた統一的な作品内容にすることができ、経費の軽減、作業の無駄を省くことが可能になった。
プロフィール

kibitopub

Author:kibitopub
山川隆之
編集者、吉備人出版代表。1955年岡山市生まれ(旧姓・長井)。岡山市立操南小学校—倉敷市立大高小学校から、倉敷市立南中学校・県立天城高校・三重大学農学部卒業。伊勢新聞記者、備北民報、生活情報紙「リビングおかやま」編集長を経て95年に株式会社吉備人を設立。『絵本のあるくらし』『おかやまの建築家』『のれん越しに笑顔がのぞく』『粘着の技術−カモ井加工紙の87年』『強く、やさしく、面白く』などの編集を担当し、吉備人出版としてこれまでに20年間で約500点を出版。日本出版学会会員、岡山ペンクラブ会員、NPO法人アートファーム理事。2012年に福武教育文化賞奨励賞、2013年に岡山市文化奨励賞(学術部門)を受賞。RSKラジオ「ごごラジviviっと!」ゲストパーソナリティー。著書に『岡山人じゃが』(共著)など。

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