瀬戸埠頭50周年史

瀬戸埠頭株式会社50周年社史『せと五十年の歩み――次の50年に向けて』がこのほど完成し、同社への納品が無事終了した。
瀬戸埠頭株式会社は、水島コンビナートの南端、倉敷市児島塩生に広大な敷地に保管能力10万9600トンを誇る巨大なサイロや吊上げ荷重45トン、荷役処理能力1,850t/hの橋形アンローダーを備えた、港湾物流企業。食品原料から石油化学製品など幅広い種類を取り扱い、荷役から保管、流通加工までを行っている。
昭和43(1968)年年10月、三菱商事や日本食品加工、日本農産加工、日清製粉などが発起人となり設立された。
設立したものの、用地の取得や漁業補償などクリアしなければならない課題も多く、必ずしも順風満帆の船出ではなかった。
50年史では、こうした設立から埠頭の建設、設備の増設などを詳しく記録している。
相談を受けて、3社のコンペになり、幸い小社が受注。
2017年7月から編さん委員会に参加し、制作進行管理、原稿作成のサポート、編集、制作、印刷・製本までを担当した。
とはいえ、原稿制作、写真撮影など、同社の編纂委員会のみなさんが、自分たちのちからでまとめたので、こちらは、進捗状況を見ながら、編集、制作実務に集中できた。
途中、社内を案内してもらい、巨大なサイロの屋上まで連れて行ってもらった。
瀬戸内海を一望できる素晴らしい眺めで、こんな仕事でなければけっして足を踏み入れることができなかった場所だ。
社史もいろいろ手伝ってきたが、こんな施設・設備をもった業種は、今後ないかもしれない。

サイズ:A4サイズ
ページ数:167ページ
仕様:オールカラー印刷 上製本 函入り
書名『せと五十年の歩み――次の50年に向けて』
編集・発行 瀬戸埠頭株式会社創立50周年記念社史編纂委員会
編集協力 株式会社吉備人
印刷 研精堂印刷株式会社
製本 日宝綜合製本株式会社
進化を重ねてきた企業の100年をまとめる
早川ゴム創業100周年誌『温故挑戦――過去に学び、未来に挑戦する』が、このほど完成した。
早川ゴムは、福山市に本社を置く、ゴムの機能性を生かした製品開発・販売を行っているメーカーで、社員数約350人。
大正8(1919)年に創業者早川菊市がゴム履物の生産・販売を始めて創業。その後、再生ゴムを活用した土木・建築部門の止水材や防音材の開発・製造、UVインキの研究・開発。近年は優れた耐久性を必要とする放射戦環境ゴムやスマートフォンなど液晶ディスプレーに使用する高機能粘着材を開発するなど、常に新しい何かを求める研究開発型のメーカーだ。
現在の早川雅則社長は5代目。
2017年5月に、100周年記念事業全般を担当のR社から相談があり、
社史の核となる「100年の歩み」を調査・取材・原稿執筆・編集を担当させてもらうことになった。
声がかかったのは、『岡山ガス「100の歩み」』や『変革と挑戦――丸五ゴム工業60年の歩み』などの実績からだ。
資料集めなどは、コーディネーター役のR社のK氏と早川ゴム社史担当者のM氏がとても協力的で、こちらが必要とする資料類は可能な限り集め、そろえてくれた。
社史をまとめるうえで、最低限必要なものは、年表、株主総会などの事業報告書、社内報などだ。
加えて、10人を超えるOBの方たちにも話をうかがった。
一日で4、5人ものOBに話を聴く作業は相当なエネルギーを必要としたが、資料だけでは得られない生々しい回想はとても刺激的でおもしろかった。
同席していた同社の現役の担当者たちも、興味深く耳を傾けていた。
先輩社員たちが培った「ものづくりのDNA」のようなものが次世代に伝わった貴重なインタビューだった。
取材、編集に約1年半を費やし、A4判、184ページ、並製本カバー付き・ケース入りの100周年誌が完成した。
そのうち、37ページ~119ページの「100周年の歩み」の原稿作成・編集・校正、レイアウトデザイン、および120ページ~127ページの「『温故挑戦』で次の100年へ―早川ゴムの歴史と将来展望」の早川政則同社社長と張楓(福山大学経済学部教授)の対談を担当しました。
先日でき上がった早川ゴム100周年誌、資料やpdfのゲラを段ボールに整理したら、2箱では入り切らなかった。
ファイルは6冊、ノートはB5サイズの厚いものが1冊だった。
で、パソコンのデスクトップには、
関連資料、原稿、写真類、ゲラのpdfなどをまとめたフォルダの情報量がいったいどのくらいあるのかな? とふと思ってみてみたら、なんと111GBという表示だった。
https://business-archives.jp/case/10/
関連webサイト
https://www.hrc.co.jp/


早川ゴムは、福山市に本社を置く、ゴムの機能性を生かした製品開発・販売を行っているメーカーで、社員数約350人。
大正8(1919)年に創業者早川菊市がゴム履物の生産・販売を始めて創業。その後、再生ゴムを活用した土木・建築部門の止水材や防音材の開発・製造、UVインキの研究・開発。近年は優れた耐久性を必要とする放射戦環境ゴムやスマートフォンなど液晶ディスプレーに使用する高機能粘着材を開発するなど、常に新しい何かを求める研究開発型のメーカーだ。
現在の早川雅則社長は5代目。
2017年5月に、100周年記念事業全般を担当のR社から相談があり、
社史の核となる「100年の歩み」を調査・取材・原稿執筆・編集を担当させてもらうことになった。
声がかかったのは、『岡山ガス「100の歩み」』や『変革と挑戦――丸五ゴム工業60年の歩み』などの実績からだ。
資料集めなどは、コーディネーター役のR社のK氏と早川ゴム社史担当者のM氏がとても協力的で、こちらが必要とする資料類は可能な限り集め、そろえてくれた。
社史をまとめるうえで、最低限必要なものは、年表、株主総会などの事業報告書、社内報などだ。
加えて、10人を超えるOBの方たちにも話をうかがった。
一日で4、5人ものOBに話を聴く作業は相当なエネルギーを必要としたが、資料だけでは得られない生々しい回想はとても刺激的でおもしろかった。
同席していた同社の現役の担当者たちも、興味深く耳を傾けていた。
先輩社員たちが培った「ものづくりのDNA」のようなものが次世代に伝わった貴重なインタビューだった。
取材、編集に約1年半を費やし、A4判、184ページ、並製本カバー付き・ケース入りの100周年誌が完成した。
そのうち、37ページ~119ページの「100周年の歩み」の原稿作成・編集・校正、レイアウトデザイン、および120ページ~127ページの「『温故挑戦』で次の100年へ―早川ゴムの歴史と将来展望」の早川政則同社社長と張楓(福山大学経済学部教授)の対談を担当しました。
先日でき上がった早川ゴム100周年誌、資料やpdfのゲラを段ボールに整理したら、2箱では入り切らなかった。
ファイルは6冊、ノートはB5サイズの厚いものが1冊だった。
で、パソコンのデスクトップには、
関連資料、原稿、写真類、ゲラのpdfなどをまとめたフォルダの情報量がいったいどのくらいあるのかな? とふと思ってみてみたら、なんと111GBという表示だった。
https://business-archives.jp/case/10/
関連webサイト
https://www.hrc.co.jp/


企業アーカイブズと社史編纂の実際(最終回)
蜂谷工業株式会社創業100周年記念誌の編纂から……006

■記念誌をどう生かすか
記念式典を終え、記念誌の取材・撮影はすべて終了。
3月は、編集・制作作業のペースを一気に上げ、4月上旬には初校ゲラを提出。
以後、5月末の完成に向け、同社の編集担当者を中心に校正・チェック作業が急ピッチで進められた。
ギリギリまで、写真の差し替え、原稿修正、巻末資料編の追加・訂正作業など、気の抜けない作業が何日も続く。
ただ、社内に編集デザイン担当者の守安涼がいるので、急な対応も細かい指示も心強い。
5月半ば、県立記録資料館への写真掲載許可の申請書などを漏れていた手続きなどを行い、予定より少しだけ遅れて記念誌は校了した。印刷会社には、使用する紙や仕様・製本など事前に打ち合わせしていたので、印刷用データを入れてしまえば、スムーズに印刷・製本の作業へ。気心の知れた印刷会社との仕事にしていたので、比較的問題なく進んだ。
5月26日午後、予定通り蜂谷工業へ無事納品。
納めた記念誌を手に取った編集委員の一人から
「ありがとうございます。山川さんがいなかったら、できてないわ~」と言ってもらえた。
この100周年記念事業で、吉備人でかかわらせていただいたのは、創業100周年記念誌の企画・編集・制作、WEBサイトのリニューアルのディレクションとテキスト編集、記念動画の制作協力と監修。同社とはこれを機に、WEBサイトの取材・編集のサポート、リクルート用パンフレットの編集・制作、CSRリポートの企画・編集など広報支援、同社の企業アーカイブズにかかわる業務を引き続きお手伝いできたらと提案している。
創業から100年という歴史の積み重ねは、この10年、20年に誕生した企業にはない100年企業ならでは価値であり、地域社会からの信頼の証でもある。
ローカルゼネコンとしての誇りを胸に、地域になくてはならない存在として、蜂谷工業は、まじめな技術者集団であり続けてほしいと思う。
(2017年6月12日・記)


■記念誌をどう生かすか
記念式典を終え、記念誌の取材・撮影はすべて終了。
3月は、編集・制作作業のペースを一気に上げ、4月上旬には初校ゲラを提出。
以後、5月末の完成に向け、同社の編集担当者を中心に校正・チェック作業が急ピッチで進められた。
ギリギリまで、写真の差し替え、原稿修正、巻末資料編の追加・訂正作業など、気の抜けない作業が何日も続く。
ただ、社内に編集デザイン担当者の守安涼がいるので、急な対応も細かい指示も心強い。
5月半ば、県立記録資料館への写真掲載許可の申請書などを漏れていた手続きなどを行い、予定より少しだけ遅れて記念誌は校了した。印刷会社には、使用する紙や仕様・製本など事前に打ち合わせしていたので、印刷用データを入れてしまえば、スムーズに印刷・製本の作業へ。気心の知れた印刷会社との仕事にしていたので、比較的問題なく進んだ。
5月26日午後、予定通り蜂谷工業へ無事納品。
納めた記念誌を手に取った編集委員の一人から
「ありがとうございます。山川さんがいなかったら、できてないわ~」と言ってもらえた。
この100周年記念事業で、吉備人でかかわらせていただいたのは、創業100周年記念誌の企画・編集・制作、WEBサイトのリニューアルのディレクションとテキスト編集、記念動画の制作協力と監修。同社とはこれを機に、WEBサイトの取材・編集のサポート、リクルート用パンフレットの編集・制作、CSRリポートの企画・編集など広報支援、同社の企業アーカイブズにかかわる業務を引き続きお手伝いできたらと提案している。
創業から100年という歴史の積み重ねは、この10年、20年に誕生した企業にはない100年企業ならでは価値であり、地域社会からの信頼の証でもある。
ローカルゼネコンとしての誇りを胸に、地域になくてはならない存在として、蜂谷工業は、まじめな技術者集団であり続けてほしいと思う。
(2017年6月12日・記)

企業アーカイブズと社史編纂の実際(5)
蜂谷工業株式会社創業100周年記念誌の編纂から……005

■社史には書けないOBたちのここだけの話
こうした資料、手がかりが少ないなかでの原稿作成作業では、OBの方々や関係者の方々のインタビュー、聞き取りが重要になってくる。
今回は、担当者の方から、時代や担当分野を重ならないよう配慮して、7人のOBの方に依頼していただいた。80代、90代の方もいらっしゃったが、みなさんとても元気で、記憶も確かで、取材では、たいへん興味深い話しを聞くことができた。OBの方々は、昭和40年代のいわゆる高度経済成長期の、建設・土木の分野がもっとも元気の良かった時代を過ごしてきたということもあり、それぞれの方たちの〈武勇伝〉をたっぷりと聞かせていただいた。
ただ、とても貴重ではあっても、社史の記述に書き記すことができる話ばかりではなかったことも確かで、こうした部分をどのような形で記録に残していくのかは、企業史料の記録・保管といった点で課題となるような気がする。
■WEBサイトのリニューアル、動画の制作も
2016年6月にスタートした記念誌の取材・原稿制作作業は、年明け1月にはほぼ終えた。
同時進行で取材をすすめていた動画制作の編集も大詰めを迎え、3月1日に行われる100周年記念式典でのお披露目に向け、2月下旬には、ナレーション取りが行われた。動画のナレーション取りに立ち会うのは初体験。プロのナレーションが入ると、それまで観ていた同じ画面がまったく違う作品にさえ見えるようになったのが、不思議だ。
動画は、15分のフルバージョン、3分のショートバージョン、30秒のミニバージョンと3種類を制作。目的や時間に応じて使い分けられるようにした。

また、同社WEBサイトも100周年記念式典に合わせて全面リニューアル。
WEBサイトで使用する写真やテキストは、記念誌用に作成したものを流用するのだが、WEB用独自の取材や作業も少なからずあり、1月は記念誌用の編集作業を一時ストップして、WEB用の作業に時間を取られることになった。
WEBサイトのディレクションはトライマンデザインの三宅真人さんにお願いした。三宅さんは、記念誌では特集2にあたる「地元遺産」の工事実績を動的に見せる手法を取り入れてくれ、記念誌とは違った見応えのあるサイトに生まれ変わった。
蜂谷工業
3月1日、ルネス・ホール(岡山市北区内山下)で開催された蜂谷工業創業100周年記念式典では、記念動画、リニューアルしたWEBサイト、そして新しくなったマーク、ロゴタイプ、さらに制服、作業用ユニフォームもお披露目された。
まさに新生「蜂谷工業」の新たな一歩を踏み出した一日になった。
カメラマンと共に式典の記録写真の撮影に動き回っていたのだが、会場の所々で、打ち合わせや取材を通して顔見知りになった社員さんたちからも声をかけられたり、写真を撮らせてもらったりした。
「記念誌早く見たいです」「この写真、載せてくれますか?」
こうした声をかけてもらえるようになり、現場の社員たちも社史の完成を楽しみにしてくれている手ごたえを感じた。

■社史には書けないOBたちのここだけの話
こうした資料、手がかりが少ないなかでの原稿作成作業では、OBの方々や関係者の方々のインタビュー、聞き取りが重要になってくる。
今回は、担当者の方から、時代や担当分野を重ならないよう配慮して、7人のOBの方に依頼していただいた。80代、90代の方もいらっしゃったが、みなさんとても元気で、記憶も確かで、取材では、たいへん興味深い話しを聞くことができた。OBの方々は、昭和40年代のいわゆる高度経済成長期の、建設・土木の分野がもっとも元気の良かった時代を過ごしてきたということもあり、それぞれの方たちの〈武勇伝〉をたっぷりと聞かせていただいた。
ただ、とても貴重ではあっても、社史の記述に書き記すことができる話ばかりではなかったことも確かで、こうした部分をどのような形で記録に残していくのかは、企業史料の記録・保管といった点で課題となるような気がする。
■WEBサイトのリニューアル、動画の制作も
2016年6月にスタートした記念誌の取材・原稿制作作業は、年明け1月にはほぼ終えた。
同時進行で取材をすすめていた動画制作の編集も大詰めを迎え、3月1日に行われる100周年記念式典でのお披露目に向け、2月下旬には、ナレーション取りが行われた。動画のナレーション取りに立ち会うのは初体験。プロのナレーションが入ると、それまで観ていた同じ画面がまったく違う作品にさえ見えるようになったのが、不思議だ。
動画は、15分のフルバージョン、3分のショートバージョン、30秒のミニバージョンと3種類を制作。目的や時間に応じて使い分けられるようにした。

また、同社WEBサイトも100周年記念式典に合わせて全面リニューアル。
WEBサイトで使用する写真やテキストは、記念誌用に作成したものを流用するのだが、WEB用独自の取材や作業も少なからずあり、1月は記念誌用の編集作業を一時ストップして、WEB用の作業に時間を取られることになった。
WEBサイトのディレクションはトライマンデザインの三宅真人さんにお願いした。三宅さんは、記念誌では特集2にあたる「地元遺産」の工事実績を動的に見せる手法を取り入れてくれ、記念誌とは違った見応えのあるサイトに生まれ変わった。
蜂谷工業
3月1日、ルネス・ホール(岡山市北区内山下)で開催された蜂谷工業創業100周年記念式典では、記念動画、リニューアルしたWEBサイト、そして新しくなったマーク、ロゴタイプ、さらに制服、作業用ユニフォームもお披露目された。
まさに新生「蜂谷工業」の新たな一歩を踏み出した一日になった。
カメラマンと共に式典の記録写真の撮影に動き回っていたのだが、会場の所々で、打ち合わせや取材を通して顔見知りになった社員さんたちからも声をかけられたり、写真を撮らせてもらったりした。
「記念誌早く見たいです」「この写真、載せてくれますか?」
こうした声をかけてもらえるようになり、現場の社員たちも社史の完成を楽しみにしてくれている手ごたえを感じた。