かつては地域出版の先進地だった岡山
岡山北ロータリークラブから、例会で話をという依頼をいただき、「本づくりはまちづくり-地域出版の現場から」という演題で、こんなことを約30分話してきた。
かつては地域出版の先進地だった岡山
岡山はかつて「教育県」といわれていた。江戸時代の寺子屋の数が長野、山口に続いて第3位、大学の数が多いなどがその理由なのだろう。とはいえ、いつだれが、どんなことを理由に「教育県」だと言い出したかは知らない。
ところが、気がつけば、最近の「全国一斉学力テスト」では下位に低迷し、不登校、校内暴力の全国ワースト上位に。かつての「教育県」の面影はどこにもない。
子どもたちの学力を向上させ、学校へ行き、暴れない子に育てることが、大人たちにとっての最優先課題となった。その「再生」に向けての取り組みが始まろうとしている。
岡山同様教育県として知られるのが長野県。もう一面「出版王国」としても知られ、数多くの出版人を生み出した土地柄。岩波書店、筑摩書房、みすず書房、大和書房、青春出版など創業にかかわっている人たくさんいる。もちろん、地元の出版も盛んで、現在では長野県出版協会があり、信濃毎日新聞社をはじめ22社が名前を連ねている。地域出版社がこんなにあるのは長野と沖縄くらいかもしれない。
「出版王国」とまではいかないが、岡山はかつて地方出版の先進県とみられていた。戦後、日本文教出版社が「岡山文庫」を刊行、ベネッセの前身の福武書店があり、山陽新聞出版局などが精力的に地域の出版物を刊行し、ヒット作品も生まれていた。
「岡山文庫」は、1964(昭和39)年に刊行が始まり、現在も年間6冊ほど刊行が続いています。地方の出版事情に詳しい地方・小出版流通センターの川上賢一社長は、「岡山文庫は地域文庫の草分け。写真や図版を多用し、アート紙による文庫として高い評価を得ると共に後進の地域出版社のめざすところでもあった」「同じ地域文庫シリーズ夢見た出版社は数多くあったが、そのほとんどが挫折している。地域の人々(読者・著者・行政・企業)が資本や労働力を提供して、自らの力で地域の文化を残し創造していく時代の先鞭を果たしてきたといえる」という(文芸春秋「本の話」特集:地方に名書、奇書あり)。
このように戦後の岡山の地域出版は、「岡山文庫」がその代表であり、岡山だけでなく全国的な地方出版の一つのモデルだった。たくさんの地域で同じような文庫、新書のシリーズが刊行されたが、続いているところは少ない。
「岡山文庫」により地域での書き手が育成されたことは、1980年代に地方新聞社の出版部が手がけた県別百科事典のブームのなかで、岡山の山陽新聞社が1980年に刊行した『岡山県大百科事典』(全2巻、4万2000円)の大成功につながっていく。
実売4万部とも5万部とも聞いたことがある。岡山市北区新屋敷に建てられた社屋(現在は同社制作センター)は、この『岡山県大百科事典』の成功によって建ったのではないかいわれるほと。地方によっては、さほど売れなかったところも数多くあるというから、岡山の場合は大ヒットといえる。
その分かれ目は、読者の地域への思いと、その市場性を捕まえることのできた出版人の感性、そしてその行動力だったのではないかと、川上社長は分析してる。
山陽新聞の出版局はその後精力的な出版活動を展開し、大判のカラー写真集、サンブックスシリーズ、図鑑、ガイド、万能地図、雑誌など、地域出版のフィールドを耕し尽くす。地方新聞社の出版部門ではもっとも勢いがあったのではないだろうか。
「岡山文庫」と山陽新聞出版局の存在で、70年代から80年代までは、地方出版の分野でいえばとても充実した地域だった。それは、書き手にとっては、研究したもの、表現したいものを本にする受け皿が身近にあったわけだし、読み手によっては、東京の出版社から刊行されないであろう、地域を掘り起こした本が次々と刊行されたのだから。
実際、この時期には近藤義郎編『吉備の考古学的研究』(上・下)=1992年といった専門的なものも地元から刊行されているほどだ。
ところが90年代に入り、バブル経済の崩壊とともに出版業界も地域の経済も失速し、96年、97年をピークに出版業界の売上はマイナス成長に転じ、同じ頃、山陽新聞の出版局もなくなり、出版事業から実質的に撤退してしまう。
一通り出し尽くした地域本なので、売れ行きも悪くなり、在庫を多数抱えたうまみのない事業になってしまった。日本全体の出版業界も地方出版の世界も「冬の時代」に突入したのである。
1995年に吉備人出版はスタートし。当時、本はつくれば売れるものだと思っていた。ところが、なかなか売れない。売るためのルートもわからない。
船出した小さな小舟は、気がつけば流氷漂う氷の海のなかだったという訳なのである。
この春19年目を迎えた吉備人出版の、前途多難の航海はこうして始まった。
かつては地域出版の先進地だった岡山
岡山はかつて「教育県」といわれていた。江戸時代の寺子屋の数が長野、山口に続いて第3位、大学の数が多いなどがその理由なのだろう。とはいえ、いつだれが、どんなことを理由に「教育県」だと言い出したかは知らない。
ところが、気がつけば、最近の「全国一斉学力テスト」では下位に低迷し、不登校、校内暴力の全国ワースト上位に。かつての「教育県」の面影はどこにもない。
子どもたちの学力を向上させ、学校へ行き、暴れない子に育てることが、大人たちにとっての最優先課題となった。その「再生」に向けての取り組みが始まろうとしている。
岡山同様教育県として知られるのが長野県。もう一面「出版王国」としても知られ、数多くの出版人を生み出した土地柄。岩波書店、筑摩書房、みすず書房、大和書房、青春出版など創業にかかわっている人たくさんいる。もちろん、地元の出版も盛んで、現在では長野県出版協会があり、信濃毎日新聞社をはじめ22社が名前を連ねている。地域出版社がこんなにあるのは長野と沖縄くらいかもしれない。
「出版王国」とまではいかないが、岡山はかつて地方出版の先進県とみられていた。戦後、日本文教出版社が「岡山文庫」を刊行、ベネッセの前身の福武書店があり、山陽新聞出版局などが精力的に地域の出版物を刊行し、ヒット作品も生まれていた。
「岡山文庫」は、1964(昭和39)年に刊行が始まり、現在も年間6冊ほど刊行が続いています。地方の出版事情に詳しい地方・小出版流通センターの川上賢一社長は、「岡山文庫は地域文庫の草分け。写真や図版を多用し、アート紙による文庫として高い評価を得ると共に後進の地域出版社のめざすところでもあった」「同じ地域文庫シリーズ夢見た出版社は数多くあったが、そのほとんどが挫折している。地域の人々(読者・著者・行政・企業)が資本や労働力を提供して、自らの力で地域の文化を残し創造していく時代の先鞭を果たしてきたといえる」という(文芸春秋「本の話」特集:地方に名書、奇書あり)。
このように戦後の岡山の地域出版は、「岡山文庫」がその代表であり、岡山だけでなく全国的な地方出版の一つのモデルだった。たくさんの地域で同じような文庫、新書のシリーズが刊行されたが、続いているところは少ない。
「岡山文庫」により地域での書き手が育成されたことは、1980年代に地方新聞社の出版部が手がけた県別百科事典のブームのなかで、岡山の山陽新聞社が1980年に刊行した『岡山県大百科事典』(全2巻、4万2000円)の大成功につながっていく。
実売4万部とも5万部とも聞いたことがある。岡山市北区新屋敷に建てられた社屋(現在は同社制作センター)は、この『岡山県大百科事典』の成功によって建ったのではないかいわれるほと。地方によっては、さほど売れなかったところも数多くあるというから、岡山の場合は大ヒットといえる。
その分かれ目は、読者の地域への思いと、その市場性を捕まえることのできた出版人の感性、そしてその行動力だったのではないかと、川上社長は分析してる。
山陽新聞の出版局はその後精力的な出版活動を展開し、大判のカラー写真集、サンブックスシリーズ、図鑑、ガイド、万能地図、雑誌など、地域出版のフィールドを耕し尽くす。地方新聞社の出版部門ではもっとも勢いがあったのではないだろうか。
「岡山文庫」と山陽新聞出版局の存在で、70年代から80年代までは、地方出版の分野でいえばとても充実した地域だった。それは、書き手にとっては、研究したもの、表現したいものを本にする受け皿が身近にあったわけだし、読み手によっては、東京の出版社から刊行されないであろう、地域を掘り起こした本が次々と刊行されたのだから。
実際、この時期には近藤義郎編『吉備の考古学的研究』(上・下)=1992年といった専門的なものも地元から刊行されているほどだ。
ところが90年代に入り、バブル経済の崩壊とともに出版業界も地域の経済も失速し、96年、97年をピークに出版業界の売上はマイナス成長に転じ、同じ頃、山陽新聞の出版局もなくなり、出版事業から実質的に撤退してしまう。
一通り出し尽くした地域本なので、売れ行きも悪くなり、在庫を多数抱えたうまみのない事業になってしまった。日本全体の出版業界も地方出版の世界も「冬の時代」に突入したのである。
1995年に吉備人出版はスタートし。当時、本はつくれば売れるものだと思っていた。ところが、なかなか売れない。売るためのルートもわからない。
船出した小さな小舟は、気がつけば流氷漂う氷の海のなかだったという訳なのである。
この春19年目を迎えた吉備人出版の、前途多難の航海はこうして始まった。
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