インタビューだからこそ 伝わってくる言葉

今朝(10月30日)、散歩をしながらRSKラジオで「倉敷段通」の職人・瀧山雄一さんの仕事を紹介していたのを聴いた(歌のない歌謡曲「あっぱれ!晴れの国の匠の技!」)。
21年前、「リビングくらしき」の編集長をしていた時、瀧山さんを取材したことがある。
柳宗悦が見いだし芹澤銈介が図案化した段通は、ぬくもりのある手触りが特徴で、和室にも洋室にも合う。
「倉敷段通」のことを知ったのも、その取材を通じてだったが、その伝統を受け継いで職人の世界に飛び込んだ、
若い瀧山さんの仕事ぶりをフロント(1面)で特集した。
リビング新聞時代、何本もフロントの記事を書いたが、その記事のことは今もよく覚えている。
そのときに買った段通の敷物は、今も我が家の靴箱の上に敷いている。
廃れかけていた倉敷を代表する民芸品である「倉敷段通」を、22年前から受け継いできた瀧山さんは、「職人が手間暇かけてつくるものには魂が込められているんです」と話していた。
この言葉を聞いた時、一昨日の夜テレビで見た、備前焼作家・森陶岳を追ったドキュメント(RSKテレビ「メッセージ」)を思い出した。そのなかで、森陶岳さんは「この大窯には神様が宿っている」といったような内容のことを話していた。
「魂を込める」「神が宿る」……文字にすると、なんだかいやらしいが、職人や作家〈本人から発せられる言葉〉だけに、ストンと納得してしてしまった。日ごろは魂とか神様を信じないくせに。
これが、取材者が取材した結果まとめた言葉だったとたら、どうだろう。ここまで心に響いてくるだろうか。
ナレーションではなく、当事者本人の言葉としてスッと出てきた言葉をすくいとっているから、ぼくの中に入ってきたのではないかと思う。
ワンクッション置かざるを得ない活字メディアでは、こうした「スッと」出てきた言葉を、伝えることは難しい。
仮に再現できたとしても、こうして文字にすると気取ったり、気障なセリフになってしまいそうな気がする。
活字メディアにはない、テレビ、ラジオのインタビューの力を垣間見た気がする。
さて、この言葉を耳にして、我が身を振り返ってしまった。
瀧山さんのように、つくっている本に魂を込めているか、森陶岳さんのように神が宿るまで、本づくりに向き合っているか――。
「この本には編集者の魂が込められていますから」
胸を張ってこういえるような仕事をしなきゃあなあ……と、歌のない「Tomorrow never knows」を聴きながら、朝から気合いが入ってしまった。
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