「未来」を希望あふれるものにするために
先日刊行した『聞く、書く。』第7号。
巻頭にに一文を書かせていただきました。

昨年(2017)年秋のことだ。鳥取市鹿野町で開かれている第10回鳥の演劇祭に行った。
鳥取市内から西へ車で約30分、岡山からだとちょうど3時間のドライブだ。
鹿野町は、戦国時代末期に形成された小さな城下町。武家屋敷のあった殿町、商人が住んだ上町、下町、鍛冶町、大工町などの町割や、町を巡る水路が400年以上たった今も残っており、当時の町並みが美しく保存されている。2004年に鳥取市に編入され、鳥取市鹿野町として、この美しい町並みを保存するため、地域住民も参加したまちづくりが進められている。
この町並みの一画に、鳥の演劇祭を主催する「鳥の劇場」がある。
鳥の劇場は、2006年1月、演出家・中島諒人を中心に設立。鳥取県鳥取市鹿野町の廃校になった小学校と幼稚園を劇場施設にリノベーションし、収容数200人の「劇場」と80人の「スタジオ」と呼ばれる2つの劇場を有する。「鳥の劇場」は、劇団の名称であり、劇場の“場”でもある。
「創る」「招く」「いっしょにやる」「試みる」「考える」の5本柱で年間プログラムを構成し、現代劇の創作・上演と併行して、ワークショップや国内外の優れた作品の招聘、レクチャーなどを実施している。
2008年から、地域や行政との協働による演劇祭「鳥の演劇祭」を実施。これまで韓国、中国、ルーマニア、イギリス、イタリア、フィンランド、フランス、ドイツ、ハンガリー、トルコ、アメリカなどからアーティストが参加するなどして、舞台芸術を柱にした国際交流を進めている。
駐車場となっているかつての運動場の隅っこに車を止め、たくさんの人が集まっている劇場のほうへ行くと、「ただいまからタイムスリップツアーが出発します」というアナウンス。促されるまま、急いで行列の最後尾に加わった。
通常演劇を観るといえば、劇場に入って席に着いてというイメージだが、この作品はちょっと違った。ガイドの案内によって鹿野の町を歩きながら、家の前や空き地などそこここで展開する短い芝居を観て、この場所のその時代を、観る人が体験するというものだ。
この日の演目は、鹿野タイムスリップツアー『マサオの光空』。地元鹿野町のお年寄りに取材してつくられたセミドキュメンタリー的演劇作品。
作品詳細によると、「今年取材させていただいたのは、学校の先生だった髙田昌雄さん86歳。昭和5年生まれの髙田さんが生きてきた時代、日本、鳥取、鹿野を、髙田さんの記憶を通じて描きます。鹿野という一つの地域の数十年前の風景は、状況の中での微細な一点に過ぎません。しかし、それは大きな時代のうねりのようなものに翻弄されながら懸命に生きる小さな人々の、時代や地域を越えた普遍的な姿として捉えることもできるのです。芝居を見ながら町を歩くうちに、空気や風や風景が、何十年も前のものに感じられて来るのが不思議なのです」とある。
これは、鳥の演劇祭の隠れた名物になっているという。2012年の第5回鳥の演劇祭ではじめて取り組まれた「鹿野タイムスリップツアー」は、コミュニティでつくる作品。作品づくりのために、まず鹿野で暮らす人たちに当時の話を聞きに行くことから始まる。その記憶をいろいろな人の話から掘り起こし、それを脚本にし、それをもとに町内各所で、俳優が昔の町の人を演じるという趣向なのだ。
つまり、脚本づくりの前段階で、「聞き書き」が取り入れられている。それを元に脚本がつくられ、それが芝居という形式で表現されるわけである。
舞台芸術の創造と「聞き書き」、おもしろい組み合わせだ。
2018年10月、聞き書き人の会では、作家の小田豊二さんを迎えて聞き書きの講演会を開いた。2016年に次いで2回目だ。小田さんは、聞き書き学校の教務主任として全国を飛び回っている。その依頼は年々増えて、週末にはどこかへ出かけては聞き書きについて語るのだそうだ。
特に、医療・福祉などの分野で聞き書きを取り入れるところが増えている。地元の大学の看護学科でも、看護師の卵たちが聞き書きを体験し、将来の看護に生かすのだという話も聞いた。
日本は今、少子高齢化が加速度的に進み、地域の消滅の危機が叫ばれている。
新見市大佐の実家のある地域では、数年前に小学校が閉校となり、駅前の商店も店を閉め、お宮の宮司さんが不在となり、人の住んでいない家も急速に増えてきた。稲作をやめ荒れ放題になった田んぼが、いつの間にか野山になり、集落は今にも消えて行きそうな勢いだ。
「これからどうなるのだろう」
漠然とした不安が、じわりと取り巻く。息苦しささえ感じる。
私たちは今、「未来」に対して不安を感じている。本来なら希望に満ちた言葉だったはずの「未来」が、決してあかるい光に満ちたものではない、そんな気さえする。今、私たちが「未来」を考える時、そのよりどころとなるものは何だろうか。何に依拠して考えればいいのだろうか。
2018年7月、西日本を襲った記録的な豪雨は岡山県内にも大きな被害をもたらした。特に倉敷市真備町の地域一帯が水に浸かった映像は、今も目に焼き付いている。川の氾濫や津波などの自然災害については、その地元に言い伝えなどが残っている。それは100年とか200年という長いスパンで発生する。
一世代も二世代も跨いでしまうので、その記憶は当然ながら薄れてしまう。この水害でも「そういえば小田川は危ないといわれていた」などという話はよく耳にした。だが、そうした懸念は、今回の災害を前にさほど力をなさなかった。もっと先人たちの言葉に、真剣に耳を傾けていれば。
新聞記事やテレビの映像、ネットメディアの記録など、その時代に起こったこと、その時代に生きた人の言葉を残しておくことの大切さを、今ほど感じることはない。
「未来は、後方にあり」――私たちが、これからの社会を描こうとする時、それは必ずしも真っ白なキャンバスではない。
既にいろんな模様や文字が書き重ねられた上に、「未来」を描くことになる。下地となる、歴史という絵によって、「未来」は明るく描けることができれば、暗い作品になってしまうこともある。
未来を明るい、希望に満ちたものにするために、こんな時代だからこそ「聞き書き」というささやかな営みを、私たちはたいせつにしていきたいと思う。


巻頭にに一文を書かせていただきました。

昨年(2017)年秋のことだ。鳥取市鹿野町で開かれている第10回鳥の演劇祭に行った。
鳥取市内から西へ車で約30分、岡山からだとちょうど3時間のドライブだ。
鹿野町は、戦国時代末期に形成された小さな城下町。武家屋敷のあった殿町、商人が住んだ上町、下町、鍛冶町、大工町などの町割や、町を巡る水路が400年以上たった今も残っており、当時の町並みが美しく保存されている。2004年に鳥取市に編入され、鳥取市鹿野町として、この美しい町並みを保存するため、地域住民も参加したまちづくりが進められている。
この町並みの一画に、鳥の演劇祭を主催する「鳥の劇場」がある。
鳥の劇場は、2006年1月、演出家・中島諒人を中心に設立。鳥取県鳥取市鹿野町の廃校になった小学校と幼稚園を劇場施設にリノベーションし、収容数200人の「劇場」と80人の「スタジオ」と呼ばれる2つの劇場を有する。「鳥の劇場」は、劇団の名称であり、劇場の“場”でもある。
「創る」「招く」「いっしょにやる」「試みる」「考える」の5本柱で年間プログラムを構成し、現代劇の創作・上演と併行して、ワークショップや国内外の優れた作品の招聘、レクチャーなどを実施している。
2008年から、地域や行政との協働による演劇祭「鳥の演劇祭」を実施。これまで韓国、中国、ルーマニア、イギリス、イタリア、フィンランド、フランス、ドイツ、ハンガリー、トルコ、アメリカなどからアーティストが参加するなどして、舞台芸術を柱にした国際交流を進めている。
駐車場となっているかつての運動場の隅っこに車を止め、たくさんの人が集まっている劇場のほうへ行くと、「ただいまからタイムスリップツアーが出発します」というアナウンス。促されるまま、急いで行列の最後尾に加わった。
通常演劇を観るといえば、劇場に入って席に着いてというイメージだが、この作品はちょっと違った。ガイドの案内によって鹿野の町を歩きながら、家の前や空き地などそこここで展開する短い芝居を観て、この場所のその時代を、観る人が体験するというものだ。
この日の演目は、鹿野タイムスリップツアー『マサオの光空』。地元鹿野町のお年寄りに取材してつくられたセミドキュメンタリー的演劇作品。
作品詳細によると、「今年取材させていただいたのは、学校の先生だった髙田昌雄さん86歳。昭和5年生まれの髙田さんが生きてきた時代、日本、鳥取、鹿野を、髙田さんの記憶を通じて描きます。鹿野という一つの地域の数十年前の風景は、状況の中での微細な一点に過ぎません。しかし、それは大きな時代のうねりのようなものに翻弄されながら懸命に生きる小さな人々の、時代や地域を越えた普遍的な姿として捉えることもできるのです。芝居を見ながら町を歩くうちに、空気や風や風景が、何十年も前のものに感じられて来るのが不思議なのです」とある。
これは、鳥の演劇祭の隠れた名物になっているという。2012年の第5回鳥の演劇祭ではじめて取り組まれた「鹿野タイムスリップツアー」は、コミュニティでつくる作品。作品づくりのために、まず鹿野で暮らす人たちに当時の話を聞きに行くことから始まる。その記憶をいろいろな人の話から掘り起こし、それを脚本にし、それをもとに町内各所で、俳優が昔の町の人を演じるという趣向なのだ。
つまり、脚本づくりの前段階で、「聞き書き」が取り入れられている。それを元に脚本がつくられ、それが芝居という形式で表現されるわけである。
舞台芸術の創造と「聞き書き」、おもしろい組み合わせだ。
2018年10月、聞き書き人の会では、作家の小田豊二さんを迎えて聞き書きの講演会を開いた。2016年に次いで2回目だ。小田さんは、聞き書き学校の教務主任として全国を飛び回っている。その依頼は年々増えて、週末にはどこかへ出かけては聞き書きについて語るのだそうだ。
特に、医療・福祉などの分野で聞き書きを取り入れるところが増えている。地元の大学の看護学科でも、看護師の卵たちが聞き書きを体験し、将来の看護に生かすのだという話も聞いた。
日本は今、少子高齢化が加速度的に進み、地域の消滅の危機が叫ばれている。
新見市大佐の実家のある地域では、数年前に小学校が閉校となり、駅前の商店も店を閉め、お宮の宮司さんが不在となり、人の住んでいない家も急速に増えてきた。稲作をやめ荒れ放題になった田んぼが、いつの間にか野山になり、集落は今にも消えて行きそうな勢いだ。
「これからどうなるのだろう」
漠然とした不安が、じわりと取り巻く。息苦しささえ感じる。
私たちは今、「未来」に対して不安を感じている。本来なら希望に満ちた言葉だったはずの「未来」が、決してあかるい光に満ちたものではない、そんな気さえする。今、私たちが「未来」を考える時、そのよりどころとなるものは何だろうか。何に依拠して考えればいいのだろうか。
2018年7月、西日本を襲った記録的な豪雨は岡山県内にも大きな被害をもたらした。特に倉敷市真備町の地域一帯が水に浸かった映像は、今も目に焼き付いている。川の氾濫や津波などの自然災害については、その地元に言い伝えなどが残っている。それは100年とか200年という長いスパンで発生する。
一世代も二世代も跨いでしまうので、その記憶は当然ながら薄れてしまう。この水害でも「そういえば小田川は危ないといわれていた」などという話はよく耳にした。だが、そうした懸念は、今回の災害を前にさほど力をなさなかった。もっと先人たちの言葉に、真剣に耳を傾けていれば。
新聞記事やテレビの映像、ネットメディアの記録など、その時代に起こったこと、その時代に生きた人の言葉を残しておくことの大切さを、今ほど感じることはない。
「未来は、後方にあり」――私たちが、これからの社会を描こうとする時、それは必ずしも真っ白なキャンバスではない。
既にいろんな模様や文字が書き重ねられた上に、「未来」を描くことになる。下地となる、歴史という絵によって、「未来」は明るく描けることができれば、暗い作品になってしまうこともある。
未来を明るい、希望に満ちたものにするために、こんな時代だからこそ「聞き書き」というささやかな営みを、私たちはたいせつにしていきたいと思う。


スポンサーサイト