批評とはなにか
アメリカのテレビドラマ「er」を観ていて(これはずいぶん前のことだが)、医療の世界は、症例検討会というものがあって、一人の患者の治療や処置について、医師や看護師、関係する医療スタッフが、その病気や治療法方法について、それが適正、妥当であったかを話し合うシステムがあることを知った。
本をつくる世界において、こういうシステムがあってもいいかなと思う。
できあがった本について、著者との対応、編集の方針、想定、販売戦略など、できあがっている本について、きちんと評価し合うことがあってもいい。
そこで、批評、批判されても、それをちゃんとやっておくと、やっておかないとでは、次の本をつくるときの差が出てくる。
評論家、という言い放ち方は、ときとして否定的に使われることが多い。外野席から好きなことを言っているみたいな。
でも、そういう批評、評論をする専門家は必要じゃないかと、最近思うようになった。
批評する力が必要であるし、批評するための信頼関係も求められる。
今夜は、ある団体のウェブサイトを運営しているWEBデザイナーとデザイナー、編集責任者たちと意見交換をしたのだが、話の盛り上がりのなかで、担当者が責任を持って、作り上げた後に、それに対するきちんとした評価こそが、進歩につながるんだなということを再認識した。
真剣に、自身の責任でつくったものだからこそ、その結果について語られることに意味がある。
それを受け止めることが、成長につながる。
クリエイティブの分野における症例検討会、その意義を考え、小社の出版活動にも取り入れたい。
寒い朝、夜明けが少し早くなってきた。

本をつくる世界において、こういうシステムがあってもいいかなと思う。
できあがった本について、著者との対応、編集の方針、想定、販売戦略など、できあがっている本について、きちんと評価し合うことがあってもいい。
そこで、批評、批判されても、それをちゃんとやっておくと、やっておかないとでは、次の本をつくるときの差が出てくる。
評論家、という言い放ち方は、ときとして否定的に使われることが多い。外野席から好きなことを言っているみたいな。
でも、そういう批評、評論をする専門家は必要じゃないかと、最近思うようになった。
批評する力が必要であるし、批評するための信頼関係も求められる。
今夜は、ある団体のウェブサイトを運営しているWEBデザイナーとデザイナー、編集責任者たちと意見交換をしたのだが、話の盛り上がりのなかで、担当者が責任を持って、作り上げた後に、それに対するきちんとした評価こそが、進歩につながるんだなということを再認識した。
真剣に、自身の責任でつくったものだからこそ、その結果について語られることに意味がある。
それを受け止めることが、成長につながる。
クリエイティブの分野における症例検討会、その意義を考え、小社の出版活動にも取り入れたい。
寒い朝、夜明けが少し早くなってきた。

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