ささやかでも消せない個人の記憶
2020年4月26日
6時に起床。海渡の散歩。
午前中は部屋の掃除。
午後から所用で少しだけ外出。夕方5時半から散歩。遠く雷の音が聞こえていたが、昨日までと違って暖かく、気持ちの良い夕暮れ。後楽園の外周をゆっくりと回る。新緑がまぶしい。

昨日の朝日新聞に「コロナ禍の記憶 覚えていよう歴史は私たちのもの」というコラムがあった。そこには「警告を鳴らす人にはなれなくても、その声を聞き取れる人になろう。大声で話せないなら、耳元でささやく人になろう。ささらくことすらできないなら、黙っていてもいいからおぼえている人になろう」とういう文章に続いて、
「社会の記憶力の乏しさこと、権力に同じ過ちを許す。だからこそ、国家が都合良く再構成した歴史ではなく、ささやかでも消せない個人の記憶が大切なのだ」という一文があった。
胸に響く言葉だ。ささやかでも、社会の記憶力の一端を担うべく役割を果たしたい。

最新号の『女性セブン』(5月7日・14日合併号)にスクープ「樹木希林さんが残した『100冊だけの本棚』から学ぶべきこと全目録」という記事が掲載された。
記事によると、大の読書家だった樹木希林さんの書斎には100冊の本だけが遺されていたという。なぜ100冊だけだったのか。
それは、「手元に置きたくなった1冊ができたら、100冊のなかの1冊を人にあげてしまう。だから、いつも100冊」だったのそうだ。
樹木希林さんのこの100冊を読んで、その一冊一冊を作家の椎根和(やまと)さんが『希林のコトダマ』(芸術新聞社)という本にまとめ、このほどが刊行された。樹木希林さんとの交流が深かった椎根さんは、元マガジンハウスの編集者で、『POPEYE物語』など雑誌黄金時代の空気を描いた作品を数冊手元に持っているので、その名前は知っていた。
本書のまえがきには、「希林が、『ことだま(言霊)』を感じた本しか保存しなかった」とある。
そして、この100冊のなかには世良利和『その映画に墓はない』(吉備人出版)がある。
本書を、著者椎根和さんは、「希林が、この本を大切に書棚に入れておいたのは、内田裕也の出演・主宰する映画に関しての本格的な評論集だったせいだとう」と分析し、「裕也は、演技だけで、存在感だけで日本映画界に、ひとつの時代をつくりだした。希林はその凄さを理解していただろうが、大衆、評論家たちは、気づかなかった」と結んでいる。
つまり、『その映画に…』の著者・世良利和さんは、内田裕也の凄さを発見した数少ない人間のひとりだったということなのだろう。
『その映画に……』が刊行されたのは2000年7月。刊行から20年になる。
世良さんはその後、映画史の研究の傍ら、新聞に映画のコラムを連載し、本を何冊も出している。最近も『外伝沖縄映画史―幻に終わった作品たち 』(ボーダーインク)、 『シネマ珍風土記 まぁ映画な、岡山じゃ県〈3〉』(蜻文庫)を刊行したばかり。
6時に起床。海渡の散歩。
午前中は部屋の掃除。
午後から所用で少しだけ外出。夕方5時半から散歩。遠く雷の音が聞こえていたが、昨日までと違って暖かく、気持ちの良い夕暮れ。後楽園の外周をゆっくりと回る。新緑がまぶしい。

昨日の朝日新聞に「コロナ禍の記憶 覚えていよう歴史は私たちのもの」というコラムがあった。そこには「警告を鳴らす人にはなれなくても、その声を聞き取れる人になろう。大声で話せないなら、耳元でささやく人になろう。ささらくことすらできないなら、黙っていてもいいからおぼえている人になろう」とういう文章に続いて、
「社会の記憶力の乏しさこと、権力に同じ過ちを許す。だからこそ、国家が都合良く再構成した歴史ではなく、ささやかでも消せない個人の記憶が大切なのだ」という一文があった。
胸に響く言葉だ。ささやかでも、社会の記憶力の一端を担うべく役割を果たしたい。

最新号の『女性セブン』(5月7日・14日合併号)にスクープ「樹木希林さんが残した『100冊だけの本棚』から学ぶべきこと全目録」という記事が掲載された。
記事によると、大の読書家だった樹木希林さんの書斎には100冊の本だけが遺されていたという。なぜ100冊だけだったのか。
それは、「手元に置きたくなった1冊ができたら、100冊のなかの1冊を人にあげてしまう。だから、いつも100冊」だったのそうだ。
樹木希林さんのこの100冊を読んで、その一冊一冊を作家の椎根和(やまと)さんが『希林のコトダマ』(芸術新聞社)という本にまとめ、このほどが刊行された。樹木希林さんとの交流が深かった椎根さんは、元マガジンハウスの編集者で、『POPEYE物語』など雑誌黄金時代の空気を描いた作品を数冊手元に持っているので、その名前は知っていた。
本書のまえがきには、「希林が、『ことだま(言霊)』を感じた本しか保存しなかった」とある。
そして、この100冊のなかには世良利和『その映画に墓はない』(吉備人出版)がある。
本書を、著者椎根和さんは、「希林が、この本を大切に書棚に入れておいたのは、内田裕也の出演・主宰する映画に関しての本格的な評論集だったせいだとう」と分析し、「裕也は、演技だけで、存在感だけで日本映画界に、ひとつの時代をつくりだした。希林はその凄さを理解していただろうが、大衆、評論家たちは、気づかなかった」と結んでいる。
つまり、『その映画に…』の著者・世良利和さんは、内田裕也の凄さを発見した数少ない人間のひとりだったということなのだろう。
『その映画に……』が刊行されたのは2000年7月。刊行から20年になる。
世良さんはその後、映画史の研究の傍ら、新聞に映画のコラムを連載し、本を何冊も出している。最近も『外伝沖縄映画史―幻に終わった作品たち 』(ボーダーインク)、 『シネマ珍風土記 まぁ映画な、岡山じゃ県〈3〉』(蜻文庫)を刊行したばかり。
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