街からシネマ・クレールの灯を消さない
若くて、とても頼りがいのあるI原さんから、声をかけられて、シネマ・クレールを応援する集まりに出かけていった。
そこで、久しぶりにシネマ・クレールの浜田支配人に会った。
浜田さんとは、「リビングおかやま」創刊間もないころ(1983年)からのつきあい。自主上映映画会の情報を持ってきてくださり、その原稿をいつも書いていた。そう、映像文化交流会。
リビング新聞社主催で、浜田さんに協力してもらって、子どもアニメ映画会を、今はもうなくなってしまった古京町の三木記念ホール開いたこともある。
映像文化交流会が、宮沢賢治原作のアニメ「セロ弾きのゴーシュ」をオリエント美術館で観たときは、日本アニメのすごさを知った。
その浜田さんが1994年にミニシアター「シネマ・クレール」を石関町に造った時、長年の夢が叶ったんだなと、自分のことのようにうれしかった。
そのシネマ・クレールが、新型コロナウイルスの影響で危機的状況になっている。感染拡大が表面化して2月以降入場者数が減少し、国の緊急事態宣言が全国を対象になった4月下旬から連休明けまで休館を余儀なくされ、危機はさらに進行しているという。
「岡山のミニシアターを存続させよう」「多様な映画の灯を消さない」と、シネマ・クレールに足を運んだことのある人は、きっと賛同してくれることだと思う。
この応援は、この危機を乗り越える一時的な支援にとどまらず、地域にミニシアターはなぜ必要なのか、ミニシアターがあることとまちの魅力についても考えたい。ミニシアター「シネマ・クレール」の地域社会での存在意義、果たしてきた役割、そして市民一人ひとりにとってもかかわりを、一度問い直す機会にしたいと。

そこで、久しぶりにシネマ・クレールの浜田支配人に会った。
浜田さんとは、「リビングおかやま」創刊間もないころ(1983年)からのつきあい。自主上映映画会の情報を持ってきてくださり、その原稿をいつも書いていた。そう、映像文化交流会。
リビング新聞社主催で、浜田さんに協力してもらって、子どもアニメ映画会を、今はもうなくなってしまった古京町の三木記念ホール開いたこともある。
映像文化交流会が、宮沢賢治原作のアニメ「セロ弾きのゴーシュ」をオリエント美術館で観たときは、日本アニメのすごさを知った。
その浜田さんが1994年にミニシアター「シネマ・クレール」を石関町に造った時、長年の夢が叶ったんだなと、自分のことのようにうれしかった。
そのシネマ・クレールが、新型コロナウイルスの影響で危機的状況になっている。感染拡大が表面化して2月以降入場者数が減少し、国の緊急事態宣言が全国を対象になった4月下旬から連休明けまで休館を余儀なくされ、危機はさらに進行しているという。
「岡山のミニシアターを存続させよう」「多様な映画の灯を消さない」と、シネマ・クレールに足を運んだことのある人は、きっと賛同してくれることだと思う。
この応援は、この危機を乗り越える一時的な支援にとどまらず、地域にミニシアターはなぜ必要なのか、ミニシアターがあることとまちの魅力についても考えたい。ミニシアター「シネマ・クレール」の地域社会での存在意義、果たしてきた役割、そして市民一人ひとりにとってもかかわりを、一度問い直す機会にしたいと。

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