シネマ・クレール応援団の代表ではないけれど
今朝(6月11日)の山陽新聞に、シネマ・クレール存続に向けてクラウドファンディング(CF)がスタートしたという記事が掲載されていた。
このCFを成功させようと応援団が結成され、記事では「吉備人出版代表のの山川さんらが中心になって」といった書き方で紹介されていたので、ぼくがその応援団の代表かのような印象を与えてしまったかもしれないが、そうではないことを、一応ここに記しておく。
応援団に名前を連ねていることは確かだけど、正確には、NPOセンターの石原達也さんが「シネマ・クレールがたいへんなので、応援したい。ついては有志でで集まるので、来てもらえませんか?」と声をかけてもらい、行ってみたら現在のようなことになっていただけ。
シネマ・クレールに月に何度も足を運ぶような、熱心な映画ファンとはいえない自分だが、支配人の浜田高夫さんが人生をかけてつくりあげてきた小さな暗闇の空間をなくしてはならないと、応援団のメンバーに名前を連ねることにした。
表だって公表はしていないが、この応援団の代表というか世話人の中心は石原さんで、いち早くCFの情報を聞きつけた山陽新聞の記者が話を聞きたいという時に、たまたま応対したのがぼくだったいうわけ。
かといって、応援団に引き込まれたということではなく、CFの返礼品としてシネマ・クレールの本はどうかという意見が出て、ならば、それは一肌脱がなきゃと。いつか、シネマ・クレールと浜田高夫さんの本はつくりたかったからだ。
浜田さんと知り合ったのは、映像文化交流会の告知を「リビングおかやま」で書くようになってから。今から35年程前のことだ。
オリエント美術館の地下ホールで開いている上映会のお知らせをいつも半2段の記事にまとめていた。
同じころ、舞台芸術の分野で大森誠一さんが、河畔劇場の案内や機関誌「劇プレス」を持って、おなじく「リビングおかやま」に来てくれて、こちらも上演案内の小さな記事を書いていた。
映画の浜田さんも演劇の大森さんも、ぼくより4,5歳年上。地方都市岡山で映像文化や舞台芸術文化の発展に取り組んでいるのをみて、この二人にあこがれ、その存在に刺激を受けていた。
いつか二人に近づきたい、そんなふうに思いながら、二人を眺めていた。
その後、大森さんとはアートファーム理事として数年間その活動にかかわらせてもらった。浜田さんとは、シネマ・クレール丸の内に映画を観に行ったときに二言、三言話すだけで、じっくり話し込む機会がなかった。
ところが、偶然こんな話になって、思っていればかなう事ってあるんだなと、ちょっと不思議な力を感じている。
浜田さん自身が、シネマ・クレールの歩みをまとめてくれれば簡単なのだが、このたいへんな時期に、原稿を書いてくださいとも言えず、少し時間を取ってもらい、インタビューをもとに聞き書きで原稿をまとめようかと計画している。
先日、決起集会があった夜、そのインタビューの質問項目を渡し、準備をお願いした。来週そのインタビュー。
CFの達成度合も気になるところだが、ぼくとしては、本のほうのピッチを上げなければならないことが心配だ。
このCFを成功させようと応援団が結成され、記事では「吉備人出版代表のの山川さんらが中心になって」といった書き方で紹介されていたので、ぼくがその応援団の代表かのような印象を与えてしまったかもしれないが、そうではないことを、一応ここに記しておく。
応援団に名前を連ねていることは確かだけど、正確には、NPOセンターの石原達也さんが「シネマ・クレールがたいへんなので、応援したい。ついては有志でで集まるので、来てもらえませんか?」と声をかけてもらい、行ってみたら現在のようなことになっていただけ。
シネマ・クレールに月に何度も足を運ぶような、熱心な映画ファンとはいえない自分だが、支配人の浜田高夫さんが人生をかけてつくりあげてきた小さな暗闇の空間をなくしてはならないと、応援団のメンバーに名前を連ねることにした。
表だって公表はしていないが、この応援団の代表というか世話人の中心は石原さんで、いち早くCFの情報を聞きつけた山陽新聞の記者が話を聞きたいという時に、たまたま応対したのがぼくだったいうわけ。
かといって、応援団に引き込まれたということではなく、CFの返礼品としてシネマ・クレールの本はどうかという意見が出て、ならば、それは一肌脱がなきゃと。いつか、シネマ・クレールと浜田高夫さんの本はつくりたかったからだ。
浜田さんと知り合ったのは、映像文化交流会の告知を「リビングおかやま」で書くようになってから。今から35年程前のことだ。
オリエント美術館の地下ホールで開いている上映会のお知らせをいつも半2段の記事にまとめていた。
同じころ、舞台芸術の分野で大森誠一さんが、河畔劇場の案内や機関誌「劇プレス」を持って、おなじく「リビングおかやま」に来てくれて、こちらも上演案内の小さな記事を書いていた。
映画の浜田さんも演劇の大森さんも、ぼくより4,5歳年上。地方都市岡山で映像文化や舞台芸術文化の発展に取り組んでいるのをみて、この二人にあこがれ、その存在に刺激を受けていた。
いつか二人に近づきたい、そんなふうに思いながら、二人を眺めていた。
その後、大森さんとはアートファーム理事として数年間その活動にかかわらせてもらった。浜田さんとは、シネマ・クレール丸の内に映画を観に行ったときに二言、三言話すだけで、じっくり話し込む機会がなかった。
ところが、偶然こんな話になって、思っていればかなう事ってあるんだなと、ちょっと不思議な力を感じている。
浜田さん自身が、シネマ・クレールの歩みをまとめてくれれば簡単なのだが、このたいへんな時期に、原稿を書いてくださいとも言えず、少し時間を取ってもらい、インタビューをもとに聞き書きで原稿をまとめようかと計画している。
先日、決起集会があった夜、そのインタビューの質問項目を渡し、準備をお願いした。来週そのインタビュー。
CFの達成度合も気になるところだが、ぼくとしては、本のほうのピッチを上げなければならないことが心配だ。
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