守屋益男さんが亡くなられた

守屋益男さんが亡くなられた。
8月10日「山の日」に亡くなられたのは、いかにも守屋益男さんらしい、と周囲の人たちはそう思っている。
守屋益男さんは、岡山の山好きで知らない人はいないというくらい著名な登山家だ。『新ルート岡山の山100選』『駅からの登る岡山の山100座』の著者・監修者であり、登山詳細図シリーズの企画・作成者として数多くの詳細図をつくってこられた。
初めて会ったのは、ぼくがまだリビングの編集者をしていたころ。地元の山登りの会を取材したとき、応対してくれたのが守屋さんだった。
その後、吉備人出版で本をつくり始めて、そのころまだ津島南にあった事務所へ「岡山の山登りのガイドブックを出版したい」と相談に来られた。以前『岡山の山100選』というタイトルで地元新聞社から出していたガイドブックの改訂版だったが、発行者である山陽新聞社出版局が縮小し出版活動を休止したタイミングということもあり、発行者を探していたのだった。その本の刊行が2003年からだから、守屋益男さんとのおつきあいは20年以上になる。
チェックの長袖シャツにチノパンツ、足下は軽登山靴、山行の帰りに事務所に立ち寄ってくれた。海外へも何度も行かれていて、そのたびにお土産を買ってきてくださった。どこに行かれたときのお土産だったか忘れてしまったが、黒い木製のペーパーナイフをいただいた。仕事場の机の上のペン立てに置いて大切に使っている。
そんな人に優しい人柄だったが、仕事においてはとても「厳格な人」であった。
「人はなぜ山に登るのか」――守屋益男さんからこの原稿を受けとったのは、2020年5月だった。ある雑誌に連載したエッセーを中心に、守屋益男さん自身がなぜ山に登るようになったのか、山登りの魅力はどこにあるのかを問いかけたもので、海外遠征を含めた膨大な記録であもあった。
ただ、ちょうとそのころあれほど勢力的に山を楽しんでいた守屋さんの体を病魔が襲っていた。
原稿はほぼまとまっていたが、写真や地図などの図版が決まらず、校正も滞った。
こちらも無理のないようにと、連絡も必要最小限に留めておこうと思っていた。
今年の7月半ば、自宅へお見舞いを兼ねて打ち合わせに行ったのが、お顔を拝見できた最後となってしまった。
そのときは、ベッドでの話しにはなったが、しっかり会話もでき、「ピッチを上げて本は仕上げます」と約束して帰った。
それから1ヶ月もたたないうちの訃報だった。
ご本人も「これは仕上げておきたい」と言っていた原稿だけに、もっと早く作業を進めておけば良かったと悔いが残る。
吉備人出版の大きな柱のひとつである登山ガイドブックや登山詳細図を企画し、多くの人に届けてくださった守屋益男さんには、いくら感謝しても感謝し足りない。
謹んでご冥福をお祈りします。
追記)
守屋さんが山登りを始めたのは、会社勤めをしていたころからだ。その勤め先の会社に、実はぼくの父親も働いていた。父は守屋さんよりも20歳近く年上だったが、「〇〇さんですか、覚えていますよ。お名前通りとても誠実な方でした」と、話してくれた。家族や親せき以外に父親のことを知っている人に会ったのは守屋さんだけだった。
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