駆け出し記者の「立冬」
11月7日。暦のうえでは立冬。冬だ。
立冬という言葉に出合うたびに、1984年11月7日の立冬の日を思い出す。
三重県の津市で伊勢新聞社の報道部にいたころのことだ。
それまで2年半いた編集局整理部から3カ月間暫定で販売部に所属し、その年の10月に念願の報道に移って間もないころだ。
津の市政担当記者クラブに所属していたぼくは、津市内の町ネタも拾わなければならない。
朝、デスクから暦ものを一本出稿するようにと命じられて、午後から津市役所から歩いてすぐの津のお城公園に行った。
津城が建っていたところだが、城の面影は石垣くらいで、広場の中央にある噴水を中心に市民の憩いの場になっている公園だ。
立冬とはいえ、ポカポカ陽気の暖かな日だった。
噴水の周りには、小学生たちが写生に来ていた。5、6年生だった。
黒い学生服の上着を脱いで、みんな白いカッターシャツで、画板に向かっていた。
その中の一人の男の子をつかまえて話しを聞き、写真を撮らせてもらい、「ぽかぽか立冬」という仮見出しを付けてたて3段の写真ものの囲み記事を出稿した。
翌日の社会面の一角に、比較的に大きく扱われた写真とともに記事が掲載された記憶がある。
なんてことのない記事だった。
暦の立冬に比べ、暖かい冬の訪れを小学生の白いカッターシャツで伝えただけだった。
それでも、その記事の取材も記事もよく覚えている。
そして立冬の日には必ず思い出す。
おそらく、今思い返せば、2年半の整理部時代、報道に出たくて出たくて仕方なかった。
やっと念願の報道部で取材できるようになり、こんな歳時記原稿もうれしかったのに違いない。
今年の立冬、風はあったがそんなに寒さを感じるような一日ではなかった。
新人記者たちは、今日どんな立冬の記事を書いたのだろうか。
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